40代を本気で生きてみる

40歳で自分の生きる道を発見。今までのすべてを辞めて、未経験事業に飛び込みました。

A型、気にしいな自分。やっと気持ちの整理完了

おはようございます。

パデル東京ミズマチが連日メディアに取り上げていただき、今までパデルの「パ」の字もご存じなかった方たちから興味をお持ちいただいているのを確実に感じています。

これからもっとパデルをプロモーションしていきます!!

オープニングイベントではじめてパデルを体験いただいた方と

でも、その前に少し吐き出しておきたいことがあり、
パデル東京ミズマチプロモーションの柱の1つ、 クラウドファンディングの終了日の朝、 思い切ってこのブログを書いてみました。

6年前、人生をかけて飛び込んだパデルの世界。

「パデルを広める!」に夢中になって、とにかく突っ走ってきたいたけれど、 気がつけば周りからネガティブな感情を抱かれていたことを感じることもありました。

『PadelAsiaはうまいことやって独り占めしようとしてる。』

『パデルの人たちの良心に頼りすぎ。』


そんなご意見を人伝いに聞いたことが 何度も何度もありました。

そのように感じられた方がいたのは、自分がきちんとPadel Asiaについて伝えきれていないせいもあったと思いますし、実際にたくさんの方に頼っていた部分もあったからだと思います。

私と付き合いの長い人は良くご存じかと思いますが、こう見えて、A型で人の意見がとっても気になる人なんです。

『パデルを日本で普及させる。パデルで日本を笑顔にする!』という信念をもって、 そしてリスクも背負って活動してるのになんでそんなこと言われるんだろう、、。

正直、悲しい気持ちや、やりきれない気持ちになったことが何度もあります。

また、ふとした時に思い出して、決断が鈍ってしまったこともあります。

Padel Asiaは、パデル業界を利用して1社だけ大儲けしたいという気持ちはありませんが、 パデルを発展させるために、きちんと利益を出せるようにしたいという気持ちは常にありました。

なぜかというと、事業面からプレーヤーを増やすには 「パデルはビジネスとしても魅力がある」という実績を出す必要がある。

つまり『事業として成り立たせる』必要があるからです。

Padel Asiaがそのロールモデルになって、事業面のプレーヤー参加の促進をしたいと考えてきました。

様々なアクセラレータープログラムにも参加しました。

新しい施設を作るたびに施設のすぐそばに引越し、支配人として朝から晩まで運営を取り仕切ってきた6年間。

名古屋に住んで地元の方々にパデルの魅力を伝える日々

千葉に引越しビラまきや飛び込み営業と様々な方法でパデルのPRを

この6年間の活動は、もちろん自分の夢を叶えるためでもあったけれど、純粋にパデル業界のため、そして多くの方を笑顔にするためにに行ってきた側面も大いにあります。

しかし、活動を積極的に行い、目立てば目立つほど厳しいコメントも増える日々、 悩みなど無さそうに見られる私も、悶々と苦悩することが多々ありました。

自分のやっていることって、本当に正しいのだろうか。

自信がなくなりかけたことも何度もあります。

でも、40歳の時に、この後の人生をかけると誓って飛び込んだパデルの世界。

ネガティブなコメントを耳にして、メンタルが落ちても、止まっている場合じゃないし、突き進むしかありません。

苦悩を抱えつつ、とにかく前を向く。それだけを意識してきました。

そんな日々のなか、東京ミズマチという超絶立地でパデル施設をオープンするチャンスがきました。

ミズマチにパデル施設を作って、話題を作れればパデルは絶対に急成長する。

とにかくオープニングからプロモーションの流れを作らなければなりません。

オープニングの盛り上がりをつくり、メディアを巻き込み、 スタートダッシュを決めるにはクラウドファンディングは行いたい。

でも、ここで、頭をよぎったのが散々耳にしてきた、 『PadelAsiaはうまいことやってパデル業界の儲けを独り占めしようとしてる』という意見。

一歩間違えば、せっかくのミズマチのオープニングクラウドファンディングが、 『Padel Asiaお金集めをしたいだけ』という捉え方をされてしまって、かえってネガティブにならないか。。

悩みに悩みました。。

そして、ひとりで悩むのも限界があったので、初期のメンバーで広報を担当してくれた海老原に連絡をし、 「ミズマチのオープンでクラファンをやろうと思っているが、正直、悩んでいる」ということを素直に伝えました。

海老原と6年前にクラウドファンディングに挑戦。

そしたら海老原から
「玉井さん、クラファンやりましょうよ!
クラウドファンディングは想いを伝える良い機会だと思いますよ。

6年前にパデル東京を立ち上げたときと今は違うフェーズに入っています。
それをきちんと伝えましょうよ。誤解をされたままにしないほうが良いと思いますよ。
クラウドファンディングでこの6年間の取り組みを伝えて、ミズマチのプロモーションにつなげましょう!」

あっさりとこう言われて腹が決まり、6年前、まっさらな気持ちでパデル業界に飛び込んだ時のチームでクラウドファンディングに挑戦することにしました。

腹が決まると、色々檻のように溜まっていた、「周りからネガティブに思われてしまっている・・」と気にしていた気持ちが一気に晴れました。

6年前のあの日のように、一点の曇りなくパデルの未来を見据える気持ちが戻ってきました。

6年前のあの日

今まで、ひとりで悶々と抱え込みすぎていたことにも気が付きました。

世にないことを産み出し、推進していくとうことは、一筋縄ではいかないことがほとんどです。

自分に実力が足りないから伝えきれないこともある。

誤解もされる。

でも、突き進むと心から思えたから踏み切れた、クラウドファンディングへの挑戦。

そして、クラウドファンディングへの挑戦を通じて、メンタルの変化があったから、「記者発表会に16メディアが参加し、連日各メディアでパデルが取り上げられる」という奇跡が起こったんだと思います。

私は今後、パデル東京ミズマチを盛り上げて、他にもパデル施設を作って、パデルをどんどん広めようと思います。

その中で、またネガティブなコメントを耳にしてメンタルが落ちる日もあるかと思います。

そんなときに、また真っすぐ前を向いてパデルの発展のため、パデルで日本を笑顔にするために、活動を続けていけるように。

6年間の取り組みは、クラウドファンディングプロジェクトページ"苦節6年、やっと乗越えた!都心にパデル施設が出来ない「4つの壁」"からお伝えしたので、気持ちの面もどこかで発信しようと、一旦、ブログを通じて素直な気持ちを吐き出した次第です。

自分に正直でいることや、周りともしっかりコミュニケーションを取ることが、本当に大切だと改めて感じた今回のパデル東京ミズマチプロジェクト。

パデルの発展だけでなく、自分の発展にもつながっている気がします。

最後までお付き合いいただいてありがとうございました。