40代を本気で生きてみる

40歳で自分の生きる道を発見。今までのすべてを辞めて、未経験事業に飛び込みました。

パデル爆速成長を支えた「出会い」と「あの日の決断」

新年あけましておめでとうございます!

いよいよ今月21日にパデル東京ミズマチがオープンを迎えます。

嬉しいことにメディアや一般の利用者の方から多くのお問い合わせをいただき、「相当期待されている」ことを肌でビシビシと感じております。

前回、【ただの有志の会が国際パデル連盟に正式加盟した日】ということで、2016年12月にスペインで国際パデル連盟加入の直談判しにいった件をお伝えしました。

今日は次に重要な出来事となった「あの日の決断」と、パデルの爆速成長を支えてくれた「出会い」について綴っていこうと思います。


1)爆速で公式大会を立ち上げる

国際パデル連盟加盟が決まった2016年12月。 嬉しいニュースもありつつ、私達が最初に取り組んだのが『ジャパンパデルツアー』という国内の公式大会の仕組作りと運営です。

しかし、「公式大会を運営する」ってことに対して私たちは全くノウハウがありませんでした。

■大会規定
■ポイントルール
■エントリーシステム
■決済システム
■協賛企業集め

当たり前ですが、ワンデイイベントの大会ではなく、通年開催し、結果に応じたポイントを付与し、全国大会、更には日本代表を決めるためフェアな国内ツアーをつくるわけですから、やるべきことも多岐に渡ります。 そして国際パデル連盟(FIP)に加盟したことで、FIPポイントの付与も可能になりました。

パデルはテニスに近いスポーツのため、テニスの公式大会の仕組みをベースにつくっていくという方向で話は進みました。

しかしここで問題なのが、中塚も木村、そして私もアスリート出身ではないので、テニスの公式大会の中身を知らないということです。

ここで一人の元アスリートが大いに力を発揮してくれました。

元々は共通の経営者を介して知り合った飲み仲間で、私がパデルに180度人生を振り切ったとき、「たまちゃん!パデルの夢を全力で応援するよ!!」と言ってくれた親友で元テニス選手として活躍していた高松伸吾です。

えっ?だれ?若きし頃の高松伸吾ってホント?

基礎となる規定やルールはテニス時代をベースにしながらも、ニュースポーツであるパデルに最適化した仕組み。 高松と木村が中心になり初期のベースとなる仕組みを一気に構築してくれました。

そしてもう一つの急務な課題が大会運営、決済を管理するシステムの開発です。

このシステムを発注した場合、最低でも4〜500万円の費用がかかることは容易に想像できました。

当時のパデル協会では(今でも結構厳しいですが、、)、どう考えてもそんな費用を捻出することはできず、頭を悩ませていました。

そんなときに、一人のエンジニアが手を上げてくれました。

秒速で現在のパデルプレーヤーシステムを立ち上げてくれたスーパーエンジニアでパデルプレーヤーでもある竹口輝くん

打ち合わせをしながら、、、

「エントリーは運営の手間になるから事前のクレジット決済がいいですよね」 「大会毎の表示はこんな感じで」

打ち合わせしながら、プログラミングし、その場でアウトプットが出てくる。

これだけのシステムを1週間で作り上げてくれました。 正直、魔法使いかと思いました。(ベンチャー企業を創業し現在もCTOとして活躍中。)

そんな仲間達の協力により2017年1月から本格スタートしたジャパンパデルツアーが爆速で立ち上がり、2017年5月には関東・関西で公式戦がスタートしました。

国内初となる第1回全日本選手権が2018年3月に男子は所沢パデルコート、女子はパデル東京で開催されました。

2)世界大会というステージへの挑戦

やっとこさジャパンパデルツアーの仕組みができあがったという2017年暮れ。

会長の中塚から話があるということで、理事会が開催されました。

「実はFIPから連絡があり、来年10月に世界大会がパラグアイ開催で決定したんだ。日本が参加するかどうかを2月15日までに表明しなければならないんだけど、、、。」

えっ?! 世界大会?! 2月15日までに? 今、12月だけど。。

国内の大会をつくったばかりのよちよち歩きの協会が、いきなり世界大会に出場するかどうかの判断を2ヶ月以内にしなければいけない。 という状況。

まず頭をよぎったのがお金の問題。

「総額いくらかかるのか?費用は誰が負担するのか?」 「まだ国内の大会をはじめたばかりで協賛なんかとれるのか?」

それ以外にも、クリアしなければならない課題は山積みでした。

「代表選考どうするか?」 「代表ウェアは?」 「コーチは?監督は?」 「代表メンバーは仕事休めるのか?」

さすがに即決することもできず、一度、各自持ち帰り改めて検討することに。

まず、大きな課題である資金の問題をどうクリアするか。

世界大会は団体戦のため、メンバーは最低6人〜8人。

これが男女なので、最大で16名の選手と協会スタッフ分の費用負担が発生する。 総額約600万円。

さすがにこの金額を協会が負担するのは、現実的に厳しいというのは誰の目にも明らかでした。

また、協会として協賛の活動もほとんどしていなかったので、協賛が取れるかどうかもわからない。 準備も追いつくかどうか、、

ただ、世界大会は2年に1度しかないので、2018年を逃すと次は2020年。

正直、当時のパデル協会の状況からすると、2018年の世界大会は見送りにして、2020年に向けて準備する。 というのがノーマルな判断だったんだと思います。

ただ、私達の中で世界大会という未知のステージに挑戦しないという判断をしたときに後悔はないだろうか?

長い長い議論が続きました。

そして、結論が出ました。

「今回の開催地は中塚会長の生まれ故郷だし、これも運命!世界大会に挑戦しようよ!俺らベンチャーだし、迷ったらワクワクする方に!きっとこの挑戦は未来のパデルの糧になるって!選手にもお金のことは正直に話しをして、俺らも頑張って協賛営業しよう!」

この判断により、初期の日本代表チームが結成され、男子はオーストラリアで、女子は日本で予選を戦うことになりました。

初代日本代表メンバー。庄山監督兼選手を筆頭に富田、高野、奥山、村澤、原田の6名がアジア予選に出場。

対戦国のオーストラリア代表と

(結局、アジアパシフィックで世界大会予選に出場したのは日本とオーストラリアだけ。当時、アジア諸国でパデルで世界大会に出るという判断をする国はほとんどいない状況でした。)

残念ながら、男子はオーストラリアに負けて本戦出場は叶いませんでしたが、ここでの悔しさが男子日本パデル界の源になっています。

女子はアジア予選でオーストラリアを下し、世界大会本戦へのきっぷを手に入れました。

初期の女子日本代表(知念、藤木、吉元、瀧田、南、多比良、三砂、上江洲の8名)会長の中塚はパラグアイ大使館やスペイン大使館などロビー活動に奔走

2018年10月にパラグアイでの世界大会へ。

女子代表主導でクラウドファンディングにも挑戦。

結果は16カ国中、14位となりましたが、それ以上に選手、そして協会スタッフが世界を肌で感じ、自分達のレベルがわかったことは大きな大きな成果となりました。

私含め協会としても、日本代表を組成し、世界と戦うということはどういうことなのか、どのような準備が必要なのか。 この大会に挑戦したことで知ることができました。

この世界大会に出ないという判断をしていたら、日本のパデルの成長はもっともっと遅れていたと思います。

パデル協会が本気で悩み、判断した、世界大会出場。 ここから、私達、協会の挑戦は更にスピードアップしていきました。

「迷ったらワクワクする方に!あとは覚悟をもってやるだけ!」 あのときの決断が今のパデル協会を支えているベンチャースピリッツです。

このベンチャースピリッツがなければ、2021年にスタートしたFiNANCIEでのトークン販売・発行はという判斷もできなかったと思います。

協会初となるFiNANCIEでのパデルトークンの新規発行と販売を開始!トークン値上率は980%を記録しダントツの1位に!

パデルの爆速成長は、多くの良い出会いと、思い切った決断、行動力の上に成り立っているんだと思います。

最後に、このお話を資金面で支えてくださった方に感謝の意を。

パデルの未来を信じてメインスポンサーになってくれた当時mediba社長の海本 桂多さん
恵比寿のバーで協賛を決めてくださり、かけてくれた言葉を今も忘れません。

medibaさんに中塚会長、代表選手達と訪問。

社長に掛け合ってパデル日本代表の協賛を決めてくださったウインザー商事の吉野さん、そして協賛への判斷をくださった坂口社長。

RICCOMOやモンチッチのブランドを展開するオーズクリエイトの大滝社長。

当時のPadel Asia株主でもあり、パデル事業をスタートする際に真っ先に相談にのっていただいたアイトリガー(旧ネットフロンティア)の小山社長、乾さん、熊木さん。

協会理事でありながら協賛も出してくれたNexus。

本当にありがとうございました。