40代を本気で生きてみる

40歳で自分の生きる道を発見。今までのすべてを辞めて、未経験事業に飛び込みました。

日本パデル9年の歴史、飛躍のきっかけを作った「あの日」

2013年10月、所沢に日本初のパデルコートができました。 それから9年間、日本のパデル界は大きく成長しています。

マイナースポーツの中ではダントツの成長なので、よく「どうやったの?」という質問を受けます。

この辺りは、現時点までの日本パデルの発展経緯を「パデル第1世代〜第4世代」の4つの時代に分けてブログでお伝えしていこうと思います。

今回は、この9年間の中でパデル界への影響が最も大きかったと言える「あの日」の出来事をお伝えしていきたいと思ってます。

<< ただの有志の会が国際パデル連盟に正式加盟した日>>

これは私がパデル人生を歩んだ中でもっとも重要な出来事でした。

私がパデルに出会ったとき、日本に「日本パデル協会」は一応、存在していました。

このときの協会の実態は、パラグアイ生まれのパデル愛好家の日系人、中塚アントニオ浩二が1人で「日本パデル協会」を名乗っているだけのものでした(笑)

アントニオの奥さんにつくってもらったHPがあるだけの。

初代日本パデル協会のHP

ここに私や、そのほかの仲間たちが有志で集まり、『パデル協会主導で日本にパデルを普及していこう!』という動きがはじまりました。

元々IT業界で仕事をしてきた私は、スポーツ業界を知ることは今後のパデル界にとっても重要なことだと思い、メジャースポーツ、マイナースポーツ関係なく、様々なスポーツに携わる方とお会いし、お話を聞いてきました。

そこで感じたことがいくつかありました。

1)マーケットが小さいのに複数の勢力が存在し、業界のパワーが分断する。

協会が発足しある程度までは伸びる。その後に仲違いして、◯◯連盟が発足し、小さな市場で抵抗勢力として不毛な競争をする。

2)優秀な選手=優秀な経営者ではない。

メダリストやその競技のレジェンドがトップとして君臨し影響力を持ち続ける。 IT活用という点でも課題がある。

3)スポーツ=体育 の流れが日本では強い

普及、競技力向上とともにスポーツビジネスとして捉える感覚が薄い。

特に1)については、マーケットが大きくなる前に手を打つ必要がありました。

つまり「日本パデル協会が国際パデル連盟(以下、FIPと言います。)が認める唯一の日本の団体である。」というお墨付きをもらうことです。

アントニオはスペイン語、英語、日本語の3カ国が使えるトリリンガルで、彼からFIPに問い合わせを入れ、「どうすれば国際パデル連盟に加盟できるか」をメールでやり取りし、確認を取りました。

すると、そこにはとんでもなく高い条件がずらりと並びました。

①国が認める公的な機関の推薦 ②地域支部があること ③◯◯年以上の活動実績    などなど

出てきた要件を当時はほとんど満たしていない状態。。

楽観主義の私でも、このミッションは無理ゲーなことは肌で感じました。

必要な手続きを正攻法で進めてたら実現するまでに何年もかかるので、強力な味方を見つけて、スペインに突撃して、直談判しよう!

という作戦でこのハードルを超える決意をしました。

そこでまず門を叩いたのがスペイン大使館です。

「日本パデル協会を発足しました。スペインの文化であるパデルを日本で広げるには、公式な機関が必要でFIP加盟がmustです。どうかスペイン大使館さんのお力添えをいただき、国際パデル連盟のトップの方と面談をする機会をつくっていただけないでしょうか?」

スペイン大使館としても、パデルが日本で流行ればスペイン経済にもメリットがあります。 ということで、2016年12月になんとスペイン大使館フルアテンドでスペインへ旅立つことになります。

到着早々、現地のパデル関連企業とのミーティングの連続。 飛行機が遅れたこともあり、到着早々、休みなく延々と、、、

現地のパデル関連企業との打ち合わせ

そして滞在3日目

現地のスペイン大使館スタッフにアテンドいただきWorld Padel Tourの会場へ

当時のFIP会長、Daniel Patti氏への直談判当日。 アントニオの大仕事の日です。

場所はWorld Padel Tourの会場で、Daniel Patti会長と面談の時間が迫ります。 私はスペイン語が喋れないので、アントニオにこの大仕事を任せることにしました。

面談の時間、事件は起こりました。

スペイン大使館の担当の方から連絡が。

「Daniel Patti会長との面談の時間を過ぎても、中塚会長が来ないんですが、、、。」

嫌な予感がしました。

顔はたぬきの置物のような純和風な日本人ですが、南米生まれ南米育ちのアントニオ。

アントニオの兄弟写真

電話をしてみると、なんとWorld Padel Tourの会場から離れたショッピングセンターでお買い物中でした。

「あっ、ごめん!クリスマス限定のデラビューダっていうお菓子が欲しくて買いにきてた!」

クリスマス時期限定のデラビューダ

えっ?! FIP会長との面談の時間に買い物?

さすがです(笑)

そこから2時間遅れて面談会場に現れ、遅刻のお詫びをいれ、なんとか無事に面談は終了。 結果を待ちます。

門前払いのリスクもありましたが、さすがスペインです。 当初の予定通りFIP加盟についての意思とプランを伝えることができました。

結果としては、、、

『日本パデル協会の意思はわかりました。正式にFIP加盟できるよう進めます。最終的には理事会での決議事項として決議を取り、正式に決定し連絡します。』

無事、翌年の総会決議で正式に日本パデル協会がFIP加盟が決定しました。

日本で唯一の協会として認められ、パデル世界大会への出場権やFIPポイントの付与などを得ることができました。

この交渉が決裂していたら、、と思うとぞっとします。

ちなみに、そのお菓子が気になった食べたのですが、ずっしり重くて、個人的にはそんなに美味しいお菓子ではありませんでした(笑)

2時間遅刻した中塚。今では国際パデル連盟の理事に就任しアジアパシフィックの責任者に!

なにはともあれ、 1)マーケットが小さいのに複数の勢力が存在し、業界のパワーが分断する。

という状態にならないよう、また、日本のパデルを世界と同水準に出来るよう、FIPに加盟できたことは、日本パデルの成長にとってかなり重要なことでした。

このような重要な出来事、分岐点、出会い、笑い、涙がたくさん重なって今の日本のパデルは成長してきています。

残り2つの「あの日」

これはについては、年明けにまたお伝えしたいと思います。