40代を本気で生きてみる

40歳で自分の生きる道を発見。今までのすべてを辞めて、未経験事業に飛び込みました。

「知ってることゼロ」から2週間で作った事業計画書

やることと想いは決まりました。

「パデルを日本とアジアに普及する。まずは東京にパデルの施設を作る」

あとは想いを言葉にして、具体的な計画をつくること。

まず一番に考えたことはビジョン。
思っていたことを言葉にしてみました。

「大切にしたいこと。」
「達成したいこと。」
「社会的な意義。」

ビジネス面では、アジアでてっぺんを取る!という夢を「No1」という言葉で打ち出しました。

「パデルマーケットを創り、アジアNo1のパデル事業者になる!」

そしてビジネスだけでなく私の想いも言葉にしました。
「人生をかけてパデルで人を笑顔にする
~パデルとTennisが共存、共栄する世の中へ~」


うん。 今はまだ粗いけど、やりたいことと想いは言葉にできました。

次はそのビジョンを実現する具体的な計画です。

ふと、ここで気付きます。

やばい。知ってることは「パデルが超楽しい」ということだけだ・・・。


当たり前です。

今までIT業界で仕事をしてきので、一般コンシューマーの方を対象とした仕事もはじめてだし、 そもそもパデルは国内3か所しか施設もなく実績も情報も限られていました。

とにかく情報収集を急がねば!

「テニスやスポーツ施設運営で共通すること」 「パデル特有のこと」

この2つに分けて情報を集めました。

「テニスやスポーツ施設運営で共通すること」
10月初旬

テニス関連の仕事をしている方6名に集まっていただきました。 忙しい中、二つ返事で集まってくれました。

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「テニスコーチとボランティアで全国の学校でテニス指導をしている高西さん」
「社会人×団体戦を中心にテニスイベントの運営をしている澤田さん
「テニス用サプリメントの凌駕の開発・販売をしている配合師の異名をもつ高野さん
「商業施設開発をしている親友のあつお
「ネット決済のスペシャリスト吉野さん

他にも参加できなかったけど、駆けつけてくださった方もいました。

お店は田町にあるテニス仲間が経営する「沖縄ワインダイニング」

それぞれがもっている情報や意見を惜しみなく提供してくれました。
テニスについては自分自身が25年間関わってきたので、イメージできることも多かったです。

PdelAsiaはまだ私1人の会社ですが、みんなが自分の会社の仲間に思えました。
ありがたいです。

なんだかあまりに嬉しくて、その後、田町の河原でテキーラを飲んで泥酔しました。

もうひとつは「パデル特有」のこと。

これは圧倒的に情報量と事例が不足しています。

海外のパデル協会やスペインのパデル関連の情報をネットで探してみます。 パデルのプロツアーの情報やスペインや南米での普及状況はわかるのですが事業計画に必要なネタはネットには転がっていません。

スペイン語は全くわかりません。 Google翻訳に頼るしかないのですがわかりづらい・・。

IT業界にいると、Googleにキーワードを入れて情報を探す癖がついてるんですね。
でも、いつまでもPCを眺めていても時間が過ぎるだけ・・。

「よし、人を頼ろう」

少ないけど、国内にいるパデル事情に精通している方に 「パデルについて知ってること全部教えてください!」 とお願いして、様々な情報提供をいただきました。

日系パラグアイ人で日本パデル協会理事長の中塚さん
パデルを日本にもってきたS&Jインターナショナルの高木さん

この二人はパラグアイ、スペインでパデルの普及を目の当たりにしてきたお二人です。

私が欲しいと思っていた情報の多くをお持ちでした。 そして、分からないことはスペインの知人に問合せていただいたり、スペイン語の書物を翻訳していただいたり、多大なるご協力のもと情報を提供していただきました。

情報だけでなく、人脈もご提供いただきました。 現在、スペイン大使館さんとの関係も中塚さんのご紹介とご支援によるものです。

今考えると、私が悩んだ時に取る行動ってこんな感じなんです。

◆人に会ってみる。

◆そして正直に今の状況とお願いしたいことを伝える。

◆自分がどんな価値を提供できるか考えて伝える。


動いた結果、どんどん情報が得られました。
事業が具体的に見えてくればくるほど、ワクワクがとまらなくて「とにかく早くパデル事業はじめたい」という想いがあまりに強くなり、事業計画に没頭。 2週間で初版となる事業計画書が完成しました。この2週間の睡眠時間は平均3時間くらいでした。

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なにも情報を持っていなかったのに、2週間で事業計画書が出来たのは、本当に多くの皆さんがご協力下さったおかげです。

事業計画書の構成は大きく以下の4つ。 事業面と普及面の2つのことを同時並行的に取り組んでいくという、なかなかタフだけどやりがいのある内容です。

(1)パデルとはどんなスポーツなのか?

(2)PadelAsiaのビジョンとは?

(2)パデルをどのように普及させていくのか?

(3)どんなペース・方法で施設を増やし売上をあげていくのか?

この時点では、まだまだ情報収集や改善が必要な点もありましたが、これでやっと一歩を踏み出せる!!

はじめに取り組むのはパデル施設を東京に作ること。

そしてそのために必要な事業資金は約6,000万円

事業資金は↓の3つで用意することに決めました。

・自己資金
・出資を募る
クラウドファンディング

まず、出資を募るためにパデル事業に、そして私の挑戦に興味を持っていただけると思った方々にアポを取り、出資の相談に伺いました。 金銭的なものもそうですが、その方々には私の力になっていただきたいと思っている方々です。

「ぜひお時間をください!新しい事業を始めるんです」と電話をかけて、メールして、アポ件は朝から夜まで続きます。

皆さんお忙しい中、快くお時間を作ってくださりとてもありがたかったです。

そして、もう1つの手段のクラウドファンディング。 こちらはこれまた知識0です。 ITの会社にいましたがユーザー側での利用となると勝手が違います。

なのに、なぜクラウドファンディングをしようと考えたのかというと、お金を集めるというだけでなく、多くの方にパデルを知ってもらいたかったので、現段階で可能なPR手段でもあると思ったからです。

知識を得るために、まず本を買いました。

ちょうど本を読み終えたころ、営業で訪問していた企業の社長さんが、クラウドファンディングを手伝ってくれるという方を紹介してくださいました。

クラウドファンディングは思いのほか準備に時間と労力がかかることを認識していた時期だったので、すぐにその紹介を受けました。

事業計画書づくりから、この時点まででかなり多くの方に自分のやりたいことを話しました。

すると、その時に必要な情報や人材がどんどん得られることに気が付きました。 しかも、絶妙に必要なタイミングで。
流れが出来ている感じです。

この流れを加速させるべく、営業とクラウドファンディング準備は10月中に行うことにしたので、この2週間は怒涛のスケジュールでした。

ちなみに、はじめてPadelAsiaでもらった領収書の宛名は「タデルアジア」

「パデル」じゃなくて「タデル」 これが今の現状と苦笑いしながらも、東急ストアのレジでパデル普及させっぞーと。という気持ちになりました。

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クラウドファンディング挑戦中です。

■Padel Asia HP

padelasia.jp

新しいことをはじめることは何かを手放すこと

前回のブログでは、私がパデル人生に突っ走るきっかけを書きました。

決めたときは本当に迷いがなかったんです。
ワクワクしかなくて、もう前しか見えていませんでした。

でも、現実に立ち戻ってみると「問題山積み」でした。

ここでいう「問題」は決してネガティブな意味ではなく、
単純に自分がやらなきゃいけない事、つまり
「現在自分の責任があることで、新しいことを始めたらできなくなること」
があったということです。

40年間生きてきました。もちろん1人で生きてきたわけではなく、
多くの方々に支えられて生きてきました。

特に長い間一緒に仕事をしてくれていた、会社のメンバーは家族同様に思っています。

私を信じて一緒にやってきてくれたって、感謝してもしつくせないくらいなことです。

パデルに人生を賭けると決めて、はじめて実感しました。

「私は今まで14年間やってきた仕事から離れるんだ」

「メンバーみんなとの関係は今までと変わるんだ」

想像していなかった、何とも言えない感情が沸き、私の心を揺さぶりました。 喪失感もありました。

そしてメンバー全員と個別にランチをして、代表を辞任することを伝えました。

その後に、会社全体の会議でも伝えました。
その時は事前に全員に伝えていたのに、不安な気持ちもありましたが、 結果的には、快く送り出してもらえました。 心からみんなに感謝します。

時間も人生も有限で、何かに自分を費やそうと思ったら、その分のスペースを作らなければならない。

そして何に自分を費やすのか決めるのは、もちろん自分。


新しいことにチャレンジする時にはどうしても、今までの「何か」に費やしていた自分のリソースを 新しいことへシフトさせなければいけない。

その時には一旦大切にしていたものを手放す必要があるかもしれないけれど、大切なものを手放すってそのあとのモチベーションになると思います。

新しいことへの挑戦は楽じゃないことも多いです。

でも、壁にぶつかったときに自分が手放したものの大きさを感じると、余計に弱音は吐けないって思います。

もちろん、私の場合、今までの会社のメンバーとは、仕事面での関わりが少し薄くなったというだけで、一部仕事で継続していることもありますし、交流はありますし、いまでも一人一人がかけがえのない仲間です。

と、こんなことを書いていると当時の写真が見たくなる!

f:id:padelman:20151207133510p:plain メンバーカンファレンスでみんなに送ったメンバー全員のイラスト!

f:id:padelman:20151207134700j:plain メンバーカンファレンスの打ち上げでメンバーみんなと

10月5日(月) 今までは朝の朝礼の音頭をとっていた月曜日の朝。

いつもと同じ時間に起き、職場がある目黒に向かおうとする自分。

でも、今日から自分がやることは違うんだと気が付き、そのまま自宅で作業をしているふとした時。

「あたらしいことが始まったんだ」

そんな事を改めて感じながら、その日からPadelAsiaでの活動を本格させていきました。

■パデルを体験してみたい方は、12月12日(土)10時~@所沢フットパークパデルコートにてイベントやります。 はじめての方、ぜひご参加ください(^^)

trippiece.com

クラウドファンディング挑戦中です。

■Padel Asia HP

padelasia.jp

俺の40代これでいいのかと考え始めた時のはなし

40歳にしてはじめてブログを書くことにしました。

玉井(パデルマン)と申します。

2か月前に14年ちょっと続けた仕事を辞めて、新しいことをはじめました。
「パデル」という、日本ではまだマイナーなスポーツを、施設運営などを通じて普及させる仕事です。
※パデルはスペイン発祥のラケットスポーツで、テニスとスカッシュの間のようなイメージです。日本には2013年に上陸しました。

40歳で未経験分野で起業し、新たな事業に挑戦していくなどと、去年の自分は全く想像していませんでした。

人生のターニングポイントは突然訪れるものですね。

そもそも私は、26歳の時から今年の9月末まで14年間、Webインテグレーション事業と人材事業を手掛ける会社を経営していました。

規模は大きくありませんが、取引先やスタッフにも恵まれて安定した会社です。

私自身も、そう贅沢ができるというわけではありませんが、妻と愛犬と3人家族が不自由なく暮らせており、人生は安定していました。

しかし、2か月前にそれを全部やめちゃいました。

Facebookではいつも「ポジティブ」「アクティブ」寄りの投稿をしている私。

私のことを知っている方は、

楽天家で悩み事なんてないリア充な人」

というイメージをもってるんじゃないですかね。

そんなイメージをもっていただけるのはとっても嬉しいことです。

実際、悲観的な人間ではないと自分でも思っていますが、そこまで悩みの無い人間というわけでもなく、 悩んだり、弱音を吐いたり、当たり前にあります。

このブログではポジティブなことも、ネガティブなことも、まるっと人間くさい自分を背伸びをせず等身大で綴っていこうと思います。 従来、本音の部分を言葉に出していくのは苦手なタイプなので、これも挑戦の一つとして捉えています。

私のこれからの日々がビジネスパーソンの方の悩みや不安の解消などにプラスになってくれれば嬉しいです。

さて、第一回目のブログネタはこれです。

■「なぜ40歳」で、「なぜ全くの未経験分野」で二度目の起業したのか?

先ほども述べたとおり、私はわりと早い時期に起業をしました。

特に大きな不満のない会社生活を送っていた私が、 セカンドキャリアを進むことになった理由を「これ」 と特定するのは難しいのですが、3ヶ月位の短い間に4つのことが起こったんです。

時系列にお話ししていきたいと思います。

【1つ目:2月】自分が言い出しっぺの投資事業で、やれる自信があったのに結果を出せなかった。

経営していた会社で、「将来収益になる新しい事業をつくっていこう」 ということで、私が責任者を兼務して取り組んだのですが、思うような結果を出すことができませんでした。

投資事業なのでうまくいかないことの方が圧倒的に多いのは当たり前。 失敗した反省を踏まえて、次の挑戦に活かしていこうと思って取り組んでいました。

そのサイクルを情熱をもってまわしていけば、必ず結果はでると頭ではわかっていました。 過去にそんな経験をしてきたことがあるので、それなりに自信はあったんです。

しかし、どんなに努力をしても結果が出ない・・。

このままだと会社の経営を圧迫してしまう可能性もあり、私は手を引くことにしました。

部署を統合して、新規事業を他の役員に任せることになりました。

急遽、新規事業を任されることになった役員には大きな負担をかけましたし、 同じ新規事業部のメンバーにも申し訳ない気持ちでした。

さすがにこの時期は堪えました。

【2つ目:3月】40歳になった。

なんでしょう、この39歳と40歳の違い。 今まで全く考えたことのない自分のビジネスマンとしての賞味期限を考えるようになるんですよね。

身体が動いて、頭がまわって、バリバリ仕事ができるのはあと10年位。 もちろん、そんなことなくて50歳でも60歳でもバリバリ仕事はできるんですけど、この時は変な強迫観念がありました。

このままの仕事をしていくことが、自分にとって後悔のない人生なのか?

そんなことを考えている時に一冊の本に出会いました。

「嫌われる勇気(アドラーの教え)」 ベストセラーになった本なので読んだ方も多いと思います。

・人は常に「かわらない」という決心をしている。

・いろいろと不満はあったとしても「このままのわたし」でいることのほうが楽であり安心。

・変わることでうまれる「不安」より、かわらないことでつきまとう「不満」を選んでいる。

・幸せになる勇気をもつこと。

・一番最初にやることは、「今のライフスタイルをやめる」こと。

そんな一節がその時にすーっと腹落ちしたんです。

そしたらまわりの仲間でキャリアチェンジしている人達のことが目につくようになりました。

・上場したIT企業の社長から政治の世界に飛び込んだ仲間
・ネット広告の社長から青森で農業ビジネスをはじめた仲間
・WEB制作会社の社長から沖縄の漁師になった仲間

そんな方々に共通しているのは、苦労もたくさんあるでしょうが自分のやりたいことをに挑戦し、「生きてる顔」してるんです。

「俺は40代をどう生きるんだ?!」

漠然と持っていたそんな気持ち。

この時に漠然とではなく、自分の40代に真剣に向き合うことにしました。

【3つ目:4月】不安定な自分

このことは書きたくなかったのですし、今でもできれば隠しておきたい。 この時のことは、思い出したくないです。

でも、正直に綴るといったので書きます。

いろいろ自分で消化できないことが続いて、今まで感じたことがないほど気持ちが不安定になりました。

FBに投稿ができないんです。 4月頃の私のFBでの投稿はほとんどありません。

経営者仲間と会いたくないんです。
情熱の固まりのような経営者の熱さを感じると、自分が情けなくなってきて。
なんだかんだ理由をつけて、飲みや会食はほとんど参加しませんでした。

出来なかったと言った方が正しいですかね。

昔からの友人から「結婚するから披露宴参加して」と言われても、昔の仲間にあいたくないんです。 「ごめん仕事で・・。」と。

ついでに気持ちだけじゃなく、高校時代から25年間続けていて、自信があったテニスも何故かめちゃくちゃ弱くなりました。 ダブルスのパートナーに迷惑かけたけど、この前「お帰り、待ってたよ」と言ってくれて涙が溢れました。

【4つ目:5月】パデルとの出会い

関連会社の営業くんから「パデルという新しいスポーツができる施設が所沢にあるのでいきませんか?」と誘いがあり、それほど乗り気じゃなかったのですが、予定も空いていたので参加することにしました。

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↑↑パデル3回目。すでにパデル中毒の私↑↑

パデルをやって、 Asadoという南米風BBQを食べて、

久しぶりに心から「楽しい!」と思える時間を過ごすことができました。

今まで悩んでいた事も忘れ、それからはただただパデルに熱中し、がっつりハマっていきました。

この3ヶ月で起こったこの4つのこと。

きっと何か意味があるとその時思ったんです。

この3ヶ月で起こった意味を考え、整理してみました。

できるかぎりシンプルに、シンプルに。 最後は自分に正直に。

自ずと結果は出ました。

これだけ重大な判断にもかかわらず、ほとんど誰にも相談せずに決めました。 さすがに生活ががらっと変わるので家内には相談しましたけど^^;

この決定をしてからは一気にいろんなことが進みました。

今まで私の中に眠っていた「パワー」が再燃しはじめました。

やっと 自分がやりたい!と心から思えるものに出会うことができました。 あとは迷わず突っ走るだけです。

パデルはテニスの本場、スペインでテニスの3倍の競技人口を持ち、 ヨーロッパを中心に人気が高いスポーツ。 プロツアーも行われていて、2万人の観客動員がある。

ところが、日本ではほとんど知られていないし、プレーできる場所も4か所にしかない。

これは、私がやらなければいけない。 パデルの楽しさをもっと多くの方々へ届けたい。

そして10月1日。 株式会社Padel Asia設立。

Padel Asiaの社名の由来は、日本だけでなくアジア全体を視野に入れて パデルの普及を行うという決意からです。

この前月に、今まで経営していた会社の代表を退任しました。

今までの会社の仕事のウェイトを減らして、パデルの仕事を並行して行い、 軌道に乗ってきたら一本化すればいいという意見もいただきましたが、 新しいスポーツを日本に普及させる仕事はそんな生半可な気持ちでは務まらないと考え きっぱり辞めました。

私のわがままを受入れ、今までの会社の経営を引き受けてくれた役員、 メンバーのみんなには本当に感謝しています。

そして、私のすべてを受け止めて「やっと見つけたんだね。」と涙して背中を押してくれた妻。 言葉では言い表せないくらい感謝の気持ちでいっぱいです。

やることは決まりました。 あとは事業資金です。

Padel Asiaの運営資金は自分で集める! そう決めていました。

まずは猛烈な勢いで情報を集め、事業計画書の作成を行いました。 そして、資金調達や物件探しに奔走する毎日。

このあたりは次回にでも!

■パデルを体験してみたい方は、12月12日(土)10時~@所沢フットパークパデルコートにてイベントやります。 はじめての方、ぜひご参加ください(^^)

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■Padel Asia HP

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